2010年4月18日日曜日

where is the heaven?

命は交わりの恵み。

死の本質は関わりのなさ。

「身体の死を迎えても神との交わりに生きる可能性はないだろうか?」

ケビン先生(he is from my college.)


このまえターミナルの授業で、死やターミナルについてディスカッションした。
一人ひとり死の捉え方が異なる。そして、自分の場合と家族の場合でも異なる。死というのは、自分のことであるが、自分だけのものではなく、家族や周りのひとのものでもあるということがディスカッションを通してわかった。どんな時でも、対象となる患者さんのケアと同時にその人の家族へのケアを考えるが、ターミナル期を迎える人々にとって、更に家族のケアが重要である。

大学で毎月発刊される聖路加チャペルニュースでは、大好きなケビン先生が命と死について書かれていた。

聖書のJohn11:25に「私を信じる者は、死んでも生きる。」という言葉がある。
なんとなく、今までは「そっか、信じてるから死んでも私死なないんだ!」なんて思っていたけど、やっぱりどこかで、心拍がとまって、呼吸がとまったら私は死ぬんだなって思っていた。
「死んでも生きる」その言葉の意味がわかっていなかった。
ケビン先生は、上記のように「死んでも生きる」その生き方を教えてくれた。
身体の死を迎えても、私は神様とずっとずっと交わりを持てるんだと思ったら本当に感謝を覚えた。
それが、みんなが求めてる天国なんだね。
やっとわかった気がする。


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